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Interview

井口成人さんとの対談 (2009年8月)

大塚: 対談集第一弾と致しまして、リポーターで、演出家で、更には落語などもされている井口成人さんとの対談を掲載させて頂きます。
それでは、宜しくお願い致します。
   
井口: 宜しくお願いします。
   
大塚:

井口さんといえば、リポーターとしてTV朝日などで活躍されております。

その事をご存じの方は多いと思いますが、本日は、私との接点と致しまして、井口さんの芸術家としての面、演出家としての井口さんにスポットを当ててお話を伺わせて頂きたいと思います。

   
井口: はい。
   
大塚: 井口さんのされている演劇は、今現実にある様々な社会問題を取り上げ、この世の中を少しでも良くして行こうという正義感や、それに向かっていく推進力を感じます。昨年、井口さんが演出された「僕の東京日記」という作品もそうでした。
   
井口: あの作品は、1960年代から70年代にかけての学生運動の時代を背景としていましたね。
   
大塚: あの劇を拝見しまして、学生運動が盛んだった頃は、自分の周りで起きる政治的・社会的な問題も自分の問題と捉え、また現代に比べ、他人との関係を大事にできた時代でもあったので、何か問題が起きると放ってはおかず、真っ向勝負で取り組む熱い心、愛情があったのだろうと思いました。
   
井口: 昔はそうでした。
   
大塚: 以前、ルーマニアに留学に行った時、若い女性が小さな娘を抱き抱えてバスに乗っていたら、あるおばさんが見ず知らずの男の子に注意して席を立たせ、その女性に席を譲らせていました。そういうような、赤の他人を注意するという事が、日本では出来なくなってしまいましたよね。
   
井口: そう。他人の子供を注意してはいけないという風潮になっている。昔は、菅原文太さん(1933生まれ。70年代の日本映画を代表する名優の一人)とかガッツ石松さんのような、いわゆる頑固親父がいたが、今はいなくなってしまった。
その理由は2つあって、1つは、お父さんが正しい指針を持てなくなった。
2つ目は、お母さんがお父さんを大事にしなくなって、父親の権威が失われている。
   
大塚: 父親の権威が失われていると言いますと…。
   
井口: その原因としては、お給料が(銀行振り込みという形となり)手渡しではなくなったということが言える。お母さんでも引き出せてしまう。そうして、世の中をナメた子供が多くなる。この前も、エレベーターで私が乗ろうとした時、若い男性が「閉じる」ボタンを押して挟まれてしまったんだけれど、まったく謝りもしないし、目を合わせもしない。
   
大塚: 以前「半径5メートルの幸せが大事」という表現を使って、社会の営みの中で、自分と近しい関係の人にしか配慮のない、つまり「他人」はどうでもいい、小市民化現象とでもいう様な無気力・無関心な風潮の昨今を嘆いておられました。
   
井口: 昔はみんな家で死んでいったが、今は家族が病院で死んで、そのまま葬儀に行くことが多い。家族の死というものを子供は見ていない。人間の営みの大事なものが忘れられているんですね。
出産にしてもそう。以前は家でお産婆さんを呼んで産んでいたから、生命とは何かということがもっと身近に感じられた。
   
大塚: そうですよね。
   
井口: 私の義理のお母さんが3年前に亡くなりました。その人はね、本当に愚痴屋さんで、寂しがり屋だったんです。「寂しい」と言うからよく会いに行っていたんだけど、行くといつも、「昔は皆優しくて、幸せだった。昔はお金がなくっても幸せだった。」と言うんです。それに対して私は意見が食い違っていて、「お金もある程度は必要じゃない?物質的に豊かな方が幸せですよ。」と答えていました。でも、50歳を過ぎて、それは違うんだということが分かってきました。お金は最低限あればいいんだと。若い頃は、野心や自己実現をしたいという気持ちが強くてね。でも人生それだけではないんだと。
   
大塚: 自分もそういった意味ではまだまだ若いのでしょう、野心と満足のバランスを取るのが難しいですね。
   
井口: 相田みつをさんの言葉で「永遠の過去と永遠の未来、その間で今年も春を迎えられてありがとう」というようなのがあって、自分もしみじみそう思うようになった。そういう風に生きていければいいなと思うようになりました。
   
大塚: そうですか…。
   
井口: 仲代達矢さん(1932年生まれ。俳優)がエッセイに書かれていたんですが、自分がジョギング中に倒れても誰だか分かるように住所などの連絡先を書いたものを身につけているそうです。
   
大塚: それは何故ですか?
   
井口: 奥様が癌で亡くなられたので、自分もいつ死ぬか分からないということで、死んだ時に誰だか分かるようにするためだそうです。仲代達矢さんが倒れていたら誰だって分かるでしょうにね(笑)。奥様が癌になった時、奥様が死ぬことを恐れていなかった。「喜びはうかうかと過ぎていくが、悲しみはしみじみと過ぎていく」というようなことを言っている。
   
大塚: 知り合いに、奥様を亡くされた方がおりますが、そのような事に関してこんな表現をされていました。「時間は厳しいけれど、優しいものなんだ」と。
奥様を亡くされた悲痛な想いと、時間が解決してくれるその優しさと・・・。
時間を「優しい」と表現されたその想いは、僕の心にずっと残っております。
   
井口: それから、仲代さんは戦中、生き死にを見ているから、生命に終わりがあることを感じながら生きている。今の人たちはそういった死生観が薄いかもしれませんね。
   
 
   
   
■演劇について
   
大塚: ところで井口さんは、どのようなきっかけで演劇を始められたのですか?
   
井口: 私の場合、ある日ふと空から大きな人差し指が落ちてきて、「お前は誰なんだ」という問いがありました。それに対して、明確に答えられませんでした。だから、早い段階で自分のやりたい事を見つけられた人は幸せだと思います。
   
大塚: 僕は3歳からピアノを始めて、今に至るまでにそれなりに迷う事もありましたが、結果的にやめずに今でも続けられる事に幸せを感じます。
井口さんは、いつぐらいから迷いなく進まれたのでしょうか?
社会人くらいの時からですか?
   
井口:

20歳くらいの時、自分の人生をどうしたらいいんだろうと考えていました。芝居をしたいと思ったんです。それまでは、シンナーを吸ったりしていました。昔は合法で、新宿の東口で座り込んで皆吸っていました。流行っていて、煙草と同じく、その毒性をあまり知らされていなかった時代で、失うものがなかった。それが段々規制されてからは、お酒になりましたけどね(笑)。

(シンナー蒸気吸引が1967年ごろから青少年の間にシンナー遊びとして流行して社会問題化したことをきっかけに毒物及び劇物取締法を一部改定し、1972年8月1日より使用、販売等が規制されている。)

   
大塚: お酒はいいですよね。でも、もろ刃の剣みたいなものですから、最近は減酒に努めています。
   
大塚: 20歳前後では、確固たるものはなかったんですか?
   
井口: 20歳過ぎくらいまでは、仕事で稼ぐというより、ブラブラしながら、自分探しをしていたんです。でも、いわゆる馬鹿ではなかったですよ(笑)。
そうしているうちに、生まれた時から、テレビと演劇の仕事がしたいというより、決まっていたと言っていいくらい、それ以外は考えなくなりました。
   
大塚: 人前でしゃべることには抵抗なかったんでしょうか?
   
井口: 抵抗はありましたよ。恥ずかしがり屋でしたから(笑)。
ただ、きっかけとしては、守護霊のようなものに、後ろを押されて始めた感がありました。
   
大塚: 僕もそうでした。背中を押してくれた動機、確固たるものがあったわけではないんですが、揺れ動かす何かがありました。
   
井口: まあ、ナインtoファイブ(9時~5時労働)のことができない。そして、同じ場所に長くいられないってこともありますね。
   
大塚: 僕も一緒ですね(笑)。僕も、同じ場所にじっとしていられない性質で、よく外に出ます。仕事にしても、決まった時間にというよりは、一発集中型ですね。
   
井口: まあ、私はeasy-goingなんです。
   
大塚: ご謙遜を!
   
大塚: 井口さんにとって、お芝居とはどのようなものなのでしょうか?
   
井口: 「読書百遍」、分からない本は100回読めば分かるといった意味ですが、お芝居はそれだけではなくて、暗記もしなくてはいけない。
   
井口: 登場人物の気持ちが分かって、作者の魂や思想が入ってくる。1冊の本が蔵書のように体に入ってくる。年間3本のお芝居を5年間行った場合、15人分の作家の気持ちが分かるようになってきます。そうすると、馬鹿じゃなくなる。そして、お芝居っていいなあと思うようになった。
   
井口:

『屋根の上のヴァイオリン弾き』というお芝居があるんですが、その演出家の方が「演劇はアラームです。」と言っていました。音楽もそうだと思うんです。
どういうことかと言うと、演劇(芸術)というのは、怒り・喜び・悲しみ・笑い…などの様々なものを引き出す力を持っている。それが感動だったり、小さな空間でも大きな空間でも具現化できるものなんです。

(「演劇とは客に媚びるものではない。客に対してアラームを与えるものだ。」観客を目覚ます。いままで眠っていたものを覚ますとか、そういったアラームを与えるものが演劇だ、ということ。[森重久彌さんを囲む会(1984年日本記者クラブ)で引用された、米国の劇作家オールビー氏の話。])

   
井口: 芸術はお金にはならないが、お金には代えられないものがある。
   
大塚: 僕もそう思います。自分が音楽に助けられていると思っています。井口さんも演劇に助けられることが多くあるのではないでしょうか?
   
井口: ええ、たくさんあります。
   
大塚: 日本酒が身体に沁みわたるように、じわっと感じる。
   
井口: そうです。そんな感じです。
   
大塚: 井口さんと共感を持てて光栄です。
   
   
■演劇(技術面)について
   
井口: 技術面についてですが、ニューヨークアクターズスタジオの故リーストラスバーグという人がメソード演技という演技方法を開発しました。私は、ある時その技術を学ぶことができました。そして、訓練を積んで、台本に書かれていることを再現できる自信があります。このメソード演技を学ばれた方には、ジェームス・ディーン、アルパチーノ、ロバート・デニーロ、マーロン・ブランド、マリリン・モンロー…などがいます。
   
大塚: すごい!世界のそうそうたる名優さんばかりですね。
   
井口: このメソード演技を雰囲気的に教えられる人はいるけれど、系統だてて教えられる人はそう沢山はいないと思います。
   
大塚: この前拝見しました「カレッジ・オブ・ザ・ウインド」も確かに役者さんの演技が迫真で感動しました。
   
井口: そうでしょ。みんなしっかり訓練しているんです。
ピアニストの方は、ピアノが楽器ですが、僕らは身体が楽器。身体の訓練をしています。若い人たちにそれを伝えていきたいですね。
   
大塚: さきほどのメソード演技をベースにということですよね。
   
井口: そうです。
   
 
   
   
■プロの定義について 
   
井口: 大塚さんのいる世界(芸術)って本当に厳しい世界だよね。宝石みたいだもんね。
   
大塚: 自分で言うのもなんですが、そう思う時があります。芸術なんかやっていて食っていけるのかと、よく親父に罵られました。今はもうないですけどね(笑)。
   
井口: 親父さんだからこそ言えるんでしょうね。
   
大塚: 井口さんのされている演劇活動もすごく崇高に感じますが…。
   
井口: 崇高ではないです。好きだからやっているんです。
崇高というのは、医者とか明らかに人の助けをしている人を言うんであって、演劇は逆に崇高になってはいけない。その精神を内在させるのはいいけれど、自己満足と言われても仕方がない。
   
大塚: ここで井口さんに「プロの定義」についてお伺いしたいと思います。職種によってもいろいろ違うのでしょうが、やはり十分なお金を稼げてこそプロなんでしょうか?
   
井口: ここで、1つ。古今亭 志ん生の一言。「1人でも客いたらしゃべるよ」
志ん生さんの落語を1人で聞けたら最高だよね。
   
大塚: そうですよね!
   
井口: プロの定義はただ1つ。お金を取って何かをして、お金が入ってきたらプロ。お客さんが1人でもプロなんです。数字的には赤字ですけどね(笑)。
   
大塚: 生活費を稼げてこそプロという見方もありますが…。
   
井口: 違います。たとえ1円でも入ってくればプロ。無料でするなら、慈善事業になってしまう。プロになった以上、お金を取るのですから、その分厳しい批判に耐えなくてはいけない。1人増え、2人増え…、そういう風にして興業が成り立てばいいと思うし、芸術の場合は営利最優先ではないので、成り立つまでに相当な時間と労力がかかるものです。
   
大塚: そうかもしれませんね。
   
井口: 食えるか、食えないかでプロか、そうでないかというわけではない。そうすると、ゴッホはどうなんですか?存命中は、絵が3枚くらいしか売れなかった。しかし、彼はプロなんです。
   
大塚: 画家さんは特に大変かもしれませんね。
   
井口: ですから、大塚さんはプロかプロじゃないかで悩むレベルじゃない。そんな低いレベルの人間じゃない。十分にプロフェッショナルです。
   
大塚: 有難うございます。僕も反骨精神を生涯持っていたいと思っています。
   
井口: 日本も学生運動の時代には、そのような人が沢山いた様に思います。
ハングリーなのはいい。ただ、ハングリー過ぎて自分を食ってしまったらおしまい。あまり自分を責めてはいけない。
   
大塚: そうですね(笑)。
   
井口: 「ヴィヨンの妻」という太宰治の短編集があって、そこに「プロか、プロじゃないか、芸術は崇高か、崇高ではないか」といったようなことについて書いてあります。旦那は崇高な魂の活動をしているように見えて、実はお金の事ばかり考えているんですけどね。
   
井口: どうであれ、一生懸命やる人がいるか、いないか。そういう一生懸命やる人を大切にしていかなければいけない。
   
井口: ここで、ちょっと私の親族に言いたい!(笑)
親族の飲み会をする時に、僕より年下なんですが、知恵遅れの人の学園長をしている従弟がいる。親戚の集まりの際、長老を差し置いて、「お前(従弟)が上座に座れ。他は金儲けしている者だ。お前だけが、世のために働いている。」と上座に座っている。私たちは末席へやられる。ここでは、決して演劇のことは認められないんです。まあ、欲のために生きているのかもしれない、個人の我欲なのかもしれないけれど、世の中にどれだけ貢献しているかを目安としようね、って言いたい。
   
大塚: 演劇や音楽などの文化活動がもっと世の中に浸透していくといいですね。
   
井口: そうですね。
   
井口: 今年4月のリサイタルにも行かせて頂きましたが、音楽のかけらも分からない私でも大塚さんが一生懸命やっているというのは分かるんです。とても崇高なんです。ものすごい訓練をされているんだと思います。
   
大塚: 僕が崇高なのではなくて、音楽そのものが崇高なんです。そんな芸術作品に真っ向から挑みたいという気持ちがあります。
   
井口: ただ、音楽をやるのは、日本国内だけでやっていてもダメでしょ?日本人って、日本古来のもの以外は認めない。
   
井口: ある山口県の人が言っていました。山口では、どんな立派でも「ちょっと頭がいいんだ」くらいで、あまり身内の人を評価しないそうです。(あくまで山口の方がそう言っていたんですよ。)
私はそれがそのまま音楽にも当てはまるのではないかと思っています。国内から評価されてすごくなった人っていないんじゃないですか?
   
大塚: 確かに少ないかもしれませんね。
   
井口: 外国で評価されて戻ってくる。日本の中に評価するシステムがないですよね。
   
大塚: そこが悲しい。評価の基準が他人頼りのところが多いですよね。
   
井口: 日本ではフジコ・ヘミングさんのように、ピアノだけではなく、その演奏家にまつわるエピソード(サイドストーリー)と合わせて評価される。ゴッホもそうだった。そのエピソードを除いてもすごいのが本物だと思いますが、世の中に出るには、どうもサイドストーリーが必要みたいですね。
   
大塚: そういった意味で、フジコさんの芸術をサイドストーリーも含めた総合芸術だと言っていた人がいました。ちなみにその方はウィーン在住の日本人でした。
   
 
   
   
■クラシック音楽について
   
井口: 役者の場合、生き様や教養の質量がそのまま出てくる。ピアノの場合、実際に鍵盤をたたく音から出てくるわけですよね?
   
大塚: マエストロと言われる演奏家クラスになりますと、悲しみやエレジーが滲み出ています。指揮者も上手な方ですと、音は出せないのにそれが滲み出ています。
   
井口: 本題に心を寄せる気持ちが大切ですね。
   
大塚: 慮る気持ちが必要ですね。その心を持って、過去の作曲家と楽譜を通じて会話をするのが大事だと思います。
   
井口: なるほど。
   
大塚: ベートーヴェンは、理念や包容力があって、僕はあんなに優しい人がいるとは思わなかった。そして、他人の一番つらかった時期を慮れる人になりたいんです。
   
井口: いやあ、勉強になるな。
   
大塚: 偉そうにすみません。
   
井口: じゃあ、例えば、ブラームスはどうです?
   
大塚: ブラームスはベートーヴェンの直系ですので、そうですね…。
ベートーヴェンの第9と同じようなものを作りたいと、自分の交響曲を20年くらいかけ、推敲に推敲を重ねて作っています。ベートーヴェンとはまた違ったロマンティシズムに溢れています。
   
井口: なるほど。では、モーツァルトは?
   
大塚: イズムとか風刺があったり…。
   
井口: 茶目っ気があるということですか?音楽で風刺というのはどういうことなんでしょう?
   
大塚: (ジェスチャーを交えながら)気取った紳士とピエロが交互に絶え間なく出てくるような…、つまり当時の封建社会を風刺するものと、それを諭すようなものが交互に出てきたり…。
   
井口: なるほど、そういうことか!
   
大塚: 宮廷音楽なので、上に阿る様な感じもあります。ハイドンも多少そうかな。両者とも民衆のための大衆音楽ではないですからね。
   
井口: そういった感じなんですね。
   
大塚: 表現が曖昧ですみません。何だか井口さんの方がインタビュアーみたいになってきましたね。今日は私がインタビュアーのつもりで心して来たつもりなのですが、いつの間にか僕がインタビューされちゃっている。さすがですね(笑)。
   
井口: いつも不思議に思うんだけれど、クラシックファンはどういう風に勉強しているの?ピアノの音の羅列から感じられる人ってすごいなあと思います。
   
大塚: 音の羅列かあ。僕はその「音の羅列」、つまり、純音楽で楽しめる人間なんです。逆に歌詞があったりすると、かえって意味が露骨に聞こえてしまう時があります。勿論含みや深みを感じる歌詞は別ですけれど…。
   
井口: 露骨に感じるってのは、よく分かる!
   
大塚: 僕にとっては、ピアノは音の音波であるし、音遊びなんです。また、揺らぎでもありますし…、時としてメロディーがあたかも海の水面をたゆたっている様な感じも覚えます。サーフィンで波待ちをしている時にも、今練習している曲がずっと頭の中で流れているのですが、そういう頭の中の感覚と海の揺らぎが同化した時は幸せですね。右脳の感覚ですかね。
   
井口: 原点はそれなのね。
僕もお袋が日本舞踊の師匠をしていたから、日舞は分かるし、楽しめる。
   
大塚: そうなんですね。理屈では分からなくても感覚で分かると申しましょうか…。第9を聞くと涙が出てくる事があります。
   
井口: それは素晴らしい!
僕もニューヨークのブルーノートに行った時、それまではジャズには、さして関心がなかったけれど、その時は周りと一緒に乗っていた。
   
大塚: まさにそれです!
   
井口: 大塚さんは、どうしてそんなに音楽や生き方に対して頑固なんですか?それが大塚さんの魅力なんだと思いますが…。
   
大塚: 頑固って言って頂いて、嬉しいです。僕は途中でやめることができない性分で、やめてしまうと自分が負けたという気になってしまいます。今後、ひどい頑固親父になってしまうんでしょうかね(笑)。
   
井口: 続けている間は負けてはいませんよ。
   
大塚: 有難うございます。
   
大塚: 話は飛んでしまうのですが、リサイタルで大曲に挑むことについて、お客様からもっと簡単な曲も聴きたいというリクエストがあるんです。自分としては、簡単な曲ですと、何だか怠けてお金を頂いている感じがして…。
   
井口: 大塚さん、それは大いに間違っていると思います。
   
井口: 落語の古今亭 志ん生さんが演じる「あくび指南」、これは落語の原点で一番難しいんです。あまりにも馬鹿馬鹿しくて、聞くのも馬鹿馬鹿しいお話なんです。ですが、その世界を表出するのが本当に難しい。(実際に少し演じて下さいました。)「文七元結(ぶんしちもっとい)」が真面目で、「芝浜」は演じるのが難しい。その難しいのもやり、初歩的なものもやる。そこに深い味わいが出てくるんです。
   
大塚: なるほど。
   
井口: つまり、その世界に身を寄せて遊ぶ、やり手も聴き手も抱え込んで、意味のない世界に意味を見出す。簡単なものほど難しいんです。
音楽で言えば、例えば、シューベルトの子守唄で皆が眠ってしまったら、ある意味でこれは境地ですよね(笑)。
   
大塚: (爆笑)本当にそうですよね。
   
井口: もう1つの心に訴えかける何かが大事ですね。
   
大塚: もう1つの心に訴える何かですか…。
その辺は宿題にさせて下さい。井口さんとお話しさせて頂くと、宿題がどんどん溜まってしまいます(笑)。
   
 
   
   
■今後の企画について
   
大塚: 今後Casa de Muzicaで、是非井口さんの落語と何かジョイントのようなものをさせて頂きたいと思っているのですが…。
   
井口: それは、大変面白そうですね。是非やりましょう!
皆様が楽しめる事が大事ですね。(ピアノなどの)技術の凄さというのは、実際やってみないと分からない。やれない人にも楽しんでもらえる、そんな場所にしたいですね。
   
大塚: ところで、井口さんはコンサートの司会とかもされるんですか?
   
井口: 私、10年くらい前に群馬交響楽団の司会を務めていたことがあります。
   
大塚: あ、そこに私の友人がおります。
   
井口:

「ここに泉あり」という映画のモデルにもなった楽団です。その頃には、終戦後の日本を活気づけるため、力道山や、体操で活躍された方、産業界で活躍された方…、様々な分野で活躍された方々がいらっしゃいました。群馬交響楽団は、その中で芸術の必要性を訴えていきました。衣食住と同じくらい音楽が大事だという事を。

(「ここに泉あり」:終戦直後、日々の生活に苦しみながらも人々のために演奏会を続ける群馬交響楽団の姿を描いた作品)

   
大塚: 素晴らしいですね!私も引き続き頑張って参ります。
井口さんも、更なるご活躍を期待しております。また、不定期で構いませんので、対談をさせて頂ければと思っております。
   
井口: 喜んで!
   
   
以下は、井口さんの主宰されている演劇団体「東京ドラマハウス」のホームページです。ご覧頂ければ幸いです。